
こういった疑問にお答えします。
✅本記事の内容
サラリーマンの定義(建前)
ずばりサラリーマンの3つの本質(ホンネ)
まとめ
私、「かつひろ」ですが、一部上場企業においてのサラリーマン歴が約20年あります。20年目でサラリーマンの本質に気づき脱サラした私が、サラリーマンについて詳しくお話します。
サラリーマン時代は同期ではトップで管理職まで昇りつめました。海外駐在が長かったため、社長や取締役クラスとの折衝機会も多かったので、その経験をふまえてお話いたします。
サラリーマンの定義(建前)
まずは、サラリーマンの定義を確認しましょう。以下が建前上の意味になります。
サラリーマン(英: office worker / 和製英語: Salaryman)は、雇用主からSalary(俸給)を得て生活している者、または、そのような給与所得者によって構成された社会層をいう[1]。リーマンと略されることがある[2]。明治期に生まれた和製英語であり、男性をイメージさせるため、女性に対してはOLやキャリアウーマンなどと呼び区別する場合もある。男女平等の観念が広まった事で、どちらも死語になりつつある[3][信頼性要検証]。
(Wikipedia より引用)
ずばりサラリーマンの3つの本質(ホンネ)
では次にサラリーマンの本質をホンネで語らせていただきます。
ポイント ・サラリーマンとは、自分の時間を売る仕事です。 ・サラリーマンとは信用です。 ・サラリーマンのお客様とは社長です。
サラリーマンとは、自分の時間を売る仕事です。
みなさん「Time is Money(=時は金なり)」という言葉はよくご存知かと思います。読んで字のごとく、時間はお金と同じくらいに大切であるという意味で、小さいころに親や先生が子供に時間の大切さを伝える時の例えとしてよく使われてましたよね。
さて、この常識として教えられた言葉は果たして正しいのでしょうか?
時間は大切なのは間違いないですが、やや表現がなまやさしいと言えます。
時間はお金なんて軽いものではなく、「命」と言っていいでしょう。
つまり、「Time is Life=(時は命なり)」という表現が正解で、こういう認識を持てるかどうかで今後の人生が変わってくると言っていいくらい大切な認識です。
「お金」はゼロになっても、マイナスになっても増やすことができます。
しかし、「時間は」マイナスにはなりませんが、一人一人に与えられた時間は減る一方です。
もちろん、80歳と思っていた寿命が頑張って伸びて85歳になれば、時間が増えたことには代わりはありませんが、今という時間、特に若い時間は取り戻すことが絶対にできません。
なぜ、ここで時間認識のお話をしたかというと、この時間認識が働くうえで非常に大切で、底をあいまいにすると「仕事の本質」が見えてこないからです。
サラリーマンの仕事は「仕事の成果」に対して対価(=お金)が払うわけではなく、「時間」に対して払われます。つまり「時間=命」の認識で行くと命と引き換えにお金をもらう仕事なのです。
サラリーマンには所定労働時間があり、毎月の労働時間が計算されそれに基づいて給与が計算されます。つまり、一人一人にアルバイトと同じ時給があるわけです。
例えば、仕事ができる社員がいて、他の社員の半分の時間で同じ仕事を同じクオリティでこなすことができたとします。
それでも、給与が倍になるわけではありません。成果報酬ではなく時間給が本質だからです。
仕事ができるようになればなるほど、給与に差がつくように精度は設計されていますが、仕事の成果に正比例して上がるわけではありませんから、仕事の成果に対する対価としては逆に割に合わない状況が起きてしまいます。
逆に他の社員より仕事の成果が半分でも成果に比例して給与が半分になるわけではないので、成果のあげられない社員はさほど給与の事を気にしなくてもいいということになります。悪い言い方かもしれませんが、仕事をいい加減にした方が対価としては効率がいいといえるでしょう。
すなわち、仕事ができる人もできない人も、同じ時間、仕事をこなすことによって大きく差のない給与がもらえる仕組みと言えます。 給与を増やそうと思えば、働く時間を増やすことでしか実現できないのがサラリーマンの本質と言えるでしょう。
私が新卒で入社した当時、先輩がよく「今の状況では残業代で稼がないと給与が上がらへんねん、せやから、子供養おうと思ったらしっかり残業せなあかん。」と得意げにおっしゃってたのを覚えてますが、当時は私も「なるほど!」なんて思ってましたが、この発言は仕事の成果に対してお金を稼いでるのではなく、自分の時間=命と引きかえにお金を稼いでいるという認識が抜けてしまっています。
サラリーマン=信用です。
1つ目ではサラリーマンのネガティブな本質のお話をしましたが、ここではサラリーマンのポジティブな面をご紹介しましょう。
私は脱サラするまではわからなかったのですが、サラリーマンの社会的信用度は非常に高いです。
脱サラした当時は私もそこそこ貯蓄があったため、不動産購入のためにローンを組もうと考えましたが、即刻で断られました。また、クレジットカードを作ろうと思いましたがこれまた、審査に通らず作ることができませんでした。
サラリーマンであれば、マイホーム購入のローンやクレジットカードなどの審査は一発で通ります。
以上は、金銭面の例ですが、日本の政府は決められた時間をきっちりと長く働くサラリーマンや労働者をマジョリティにすることによって、税金の安定した徴収につなげ、国の安定を保たなければなりません。そのためにサラリーマンには社会的信用を与える必要があり、そうなっているのです。
また、サラリーマンは会社のブランドや社内における地位をそのまま社会における地位としてステータスを使えるというのも大きな利点と言えるでしょう。 会社ブランド=個人
の社会的地位ということがサラリーマン人生における大きなモチベーションにつながっている事はご理解いただけるかと思います。
サラリーマンのお客様とは社長です。
さて、皆さまサラリーマンのお客様とは一体誰でしょうか?
「そんなの当り前でしょ、会社の商品やサービスを買ってくれるお客様(消費者)に決まってるじゃないですか! そんな当たり前の事聞かないでください」という声が聞こえてきます。
確かに間違いではありません。そりゃあ自分が勤める会社が売る商品やサービスを買ってくださるんですからそれこそがお客様であり、他に誰がお客様なの?という声が聞こえてきます。 しかしそれは建前上のお客様であって、本質とは言えません。
なぜならば、商品を1人100個売るのが社員の平均として、いろんな創意工夫を重ねて1,000個売ったとしても、給与は10倍にはならないからです。
そして、いくらお客様といい関係を築いて顧客になってくれたとしても、あなたの給与は上がりません。お客様の支払いは直接あなたの財布に入るわけではないので、お客様はあなたの給与を上げることはできないのです。
それじゃあ 誰がお客様なんでしょう?
それは「社長」です。
あなたの給与を決めるのは社長で、給与を支払うのも社長です。
モノやサービスを買ってくださるお客様はあなたのお客様ではなく、会社や会社が持っているブランドのお客様なのです。
ですので、あなたはお客様が望むことを叶えてあげる事はもちろん大切ですが、サラリーマンでもっと大切なことはあなたという「商品」を買ってくださる「社長」をお客様と考えて好きになってもらうことです。
何を言ってるの? お客様が喜べば社長が喜ぶから給与があがるのではないですか?
という声が聞こえてきました。
確かに間違いではないですが、しかしそんな単純なものではありません。
具体例を出します。社員のAさんは社長の方針に従い行動しましたが、お客様を喜ばせることはできんせんでした。これに対し、お客様に近いBさんはお客様の考えていることは社長の方針と違う事を知っていたので、社長の方針とは違う方法を選び、結果お客様は大喜びしました。
果たして社長はどちらの給与を増やすでしょう?
答えはAさんです。 悲しい現実ですが、これが真実なのです。
お客様に喜んでいただいた成果は自分にそっくりそのまま返って来ることはないのです。
社長はできる社員よりも、自分のいうことを聞く社員の評価を高くするからです。
できる社員ではなく、自分の思うように動いてくれる社員を何より探しているのです。
できる社員でも自分の言うことを聞かない社員は嫌なのです。これは論理の問題ではなく感情の問題です。 自分ぐらいもしくは自分よりできる社員を受け入れられる社長はゼロではないですが、99%いないと思ってください。
ですから、あいつは上司にゴマをするのが上手だとか、世渡りがうまいとか、口で出世したなど、やっかみに近いような話をよく聞きますが、こういった愚痴が出てくるのはサラリーマンの本質をわかってないからです。
サラリーマンの世界では社長に気に入られてなんぼです。胡麻をすってなんぼです。
社長こそがあなたのお客様です。
この認識こそが、サラリーマンの世界で上に上がり、給与を伸ばす費用対効果の高い方法です。それができなければ上へは上がって行けないのが悲しい現実です。
僕はある程度まではは昇りましたがサラリーマンの本質を知りながら自分の時間と引き換えに働くことができなくなり、脱サラの道を選びました。
まとめ
いかがだったでしょうか? 私の20年にわたるサラリーマン人生を通して気づいた、サラリーマンの本質をお伝えいたしました。
誤解してほしくないのは、私は決してサラリーマンを否定したいわけでも、サラリーマンに恨みを持っているわけでもありません。 サラリーマンの定義は上述した通りで、世界中の大部分の方がサラリーマンなわけですので、サラリーマンのいない世の中は考えられません。
私がお伝えしたいのは、サラリーマンとして戦っていくにしても、私のように脱サラをするにしても、「本質」を知る事が大切だということです。 そして、その「本質」を知るために大切なのが時間に対する理解、つまり「時間=命」という認識です。
サラリーマンは通勤時間、残業、会議、接待、たくさんの人事異動など自分がコントロールできないところで多くの時間を気づかないうちに奪われてしまいます。
時間はあっという間に過ぎてしまい、気づいたら私も50歳が見えてきました。
時間は失って初めてその尊さが理解できます。 時間を失った私だからこそ、お伝えできる事、それは時間とは命であり、その使われ方の本質です。
サラリーマンの本質を理解した上で、自分の時間、家族との時間、そして人生の時間をどのように使うかをよく考えて、充実した時間を過ごしてください。